神社やお寺を通して地域を幸せにしたい- 神社仏閣お掃除ボランティアteam109様とのコラボレーション-
東北三大祭の一つで例年200万人以上が訪れる青森ねぶた祭や、千本鳥居で有名な高山稲荷神社など、豊富な観光資源――。外から見ると魅力あふれる青森も、地元の人は「何もない所」と思いがち。
そんな青森の伝統を受け継ごうと、令和の「イタコ」となり、神社・お寺を守る活動や、巡礼文化の保存に取り組んでいる横山 椎乃さんに、はつゆめJAPANがインタビューしました。
神社仏閣、巡礼文化を守りながら地域を元気に – 神社仏閣お掃除ボランティアteam109 –
代表:横山 椎乃 様
【プロフィール】
生まれ育った青森に恩返しがしたい。自分の夢を叶えてくれた、津軽の巡礼、神社仏閣に対して何かできることはないかと考え、津軽33観音巡礼ガイドブックを出版。取材中に神社仏閣が存続の危機にあることを知り、周知活動を開始。現在は神社仏閣お掃除ボランティアを主催するほか、ツアーガイドやセミナー講師、カウンセラーとして活動している。
神社仏閣お掃除ボランティアteam109のボランティア・ご寄付募集情報
Contents
神社仏閣は、20年後には約4割が消滅?その危機を知らない私たち
まずは、神社仏閣お掃除ボランティアteam109という団体について教えてください。
神社仏閣お掃除ボランティアteam109は、私が青森で発足させた任意団体です。青森でシステムを確立させてから全国に事例を発信したいという構想を持っています。
背景には、今後、お寺や神社が失われるという危機感がありました。
2015年に日本創成会議(座長・増田寛也元岩手県知事)が発表したレポート『地方消滅』では全国の消滅可能性都市が挙げられ、社会に衝撃を与えました。
消滅可能性都市に存在する神社仏閣を合計すると、2040年に神社仏閣の約4割が失われてしまうかもしれないと予測されるのです。
神社仏閣がなくなっていくのが一番の問題ではなくて、住民には残したいと思う気持ちがあるのにそれができない、選択肢がないというのが今もっとも苦しい部分だと思います。
なぜ、多くの神社仏閣が存続できないのでしょうか?
神社なら宮司、お寺なら住職が「管理者」というイメージが一般的かもしれませんが、青森、特に津軽の場合は特殊で、神社にもお寺にも属さない民間信仰の施設が多数あります。それらを地域や町会で守っているのが現状です。
全国的に、「四国八十八か所お遍路」「坂東三十三観音」などの巡礼場所がありますが、巡礼ルートになっているのは基本的にお寺だけ、神社だけです。一方で、青森ではお寺も神社もそれ以外も入っている。すごく珍しい形態です。
確固たる管理者がいない巡礼地は特に横のつながりもなく、どうやったら守っていけるのかが課題になっています。
神社の管理とお寺の管理が併存しているということですか?
歴史を紐解くと、明治時代より前は、お寺と神社という区別はなく入り交じっていたのです。
もともと日本には自然信仰があり、身の周りの山や海、空気にまでも神様がいて、崇める対象は絵でも石でも良かった時代がありました。最初に体系化されたのが神社、後から入ってきたのが仏教。しかし、それらは混ざり合っていました。
明治元年に「神仏分離令」が出されるまでは、神社に仏像が祀られていたり、お寺に御神体が祀られていたりするところがありました。
明治時代になって、国策として古事記を教えることが重視された影響で、神道の排仏思想が色濃くなり、神仏習合の文化がなくなりました。
現代では、仏教の中でも「何宗の何派」といった宗派に属する概念がありますが、昔の信仰には、それほど形式にはこだわりがなかった。
自分の祈りの気持ちとつながるものはどれか。宗教というより自分の心の在り方がスタートだったように思います。
そんな神仏習合の文化を体現するのが、私が受け継いだ「イタコ(巫女)」なのです。
見えない世界を受け入れやすい日本人の気質
率直な疑問ですが、イタコってどんな人なのでしょうか?
歴史上にイタコが登場するのは400年前と言われています。シャーマニックな人が、津軽では「イタコ」という名前で呼ばれるようになったということです。
津軽藩の藩祖が夢で神様から「津軽を統一しなさい」とお告げを受けたという言い伝えがあったり、弘前市でも藩主が陰陽五行で築城の地を決めたりと、見えない力の知識を使って発展してきた土壌がありました。
そんな地で、職業として生まれたのがイタコです。今でこそ激減していますが、かつては神社やお寺の数だけイタコがいたと言われています。
どんな役目だったかというと、見えない世界の祭祀――占いや、亡くなった方を憑依させるなどが有名ですが、一番多かった仕事は人の相談を聞くことでした。
お寺や神社を訪れる人の悩みや愚痴を聞いて、気持ちが楽になる場所づくりをしていたと言われています。
イタコにはどうすればなれるのですか?
実は私の師匠は、青森で30年以上修行したインドの方です。やる気と才能と覚悟があれば条件に制約はありません。ただし、自らに向き合う修行は一生必要です。
修業していなくても、イタコと名乗っている人は全国にいます。受ける側の人としては、地域や人によって認識が異なるということも留意する必要はありますね。
青森に関しては、脈々と受け継がれてきたものが多いと感じます。家系だけの問題ではありませんが、私は4代前の先祖にイタコがいるので跡を継いだ形になっています。
イタコの中にも種類があって、亡くなった方を憑依させて問答をする人もいれば、ご神仏のメッセージを汲み取って人に伝える「カミサマ」と呼ばれる人たち、神様の力を使って治療に特化した「ゴミソ」と呼ばれる種類の人たちもいました。
私自身はカミサマのほうが得意だったり、今はゴミソの修業をしていたりするので、既存の形とは異なることから令和版のイタコと名乗らせていただいています。実際、家族で受け継がれた能力だとしても、お母さんができることと娘ができることも、やり方もみんな違うんです。
イタコの力は必ずしも特殊能力ではなく、誰にでも備わっている力です。身近な例で言うと「空気を読む」というもの。相手の機嫌の良し悪しや話しかけていいかなど、雰囲気を読み取っているわけです。読める人にとっては「誰にでも読めるでしょ」と思いがちですが、読めない人はとことん読めない。それをさらに深めて、魂や前世まで読めるようになったのがイタコです。
本当は幽霊が見えるのに、見えないと思い込んでいる人もいます。例えば「幽霊って身体が透けているもの、足がないもの」と思い込んでいて、生きている人と同じように幽霊がハッキリ見えているので、ほかの人には見えないものが見えているとは思ってもみなかったというケースもありました。
まずは認識すること、心のフィルターを外すことです。さまざまな先入観を取り払って、ありのままの自分になることで先祖や神様と向き合うことができるようになります。
それができる、日常とは違う自分に出逢える特別な場所が神社仏閣なのではないかと思います。
海外に目を向けると、瞑想の流行もありますが、日本人独特の考え方はありますか?
今一緒に修業をしている仲間は、インド、アメリカ、フランス、セネガル、ドイツとさまざまな国の出身です。
その中で感じるのは、ベースとなる宗教観の違いです。日本人は見えない世界とつながりやすい素質を持っているようです。
昔から「八百万の神」と言って、身のまわりのあらゆるものに神様がいて、もちろん人の中にもいるから大事にしましょうという教えがありました。歴史的にも、中国の思想やキリスト教が入ってきてもうまく取り入れてきました。日本人は受け入れる能力が高いのです。
海外の人と話すと、日本人が何でも受け入れることは文化、国民性としてリスペクトを持って捉えられていますが、むしろ日本人の側は宗教観にコンプレックスを持ってしまっているように感じます。
巡礼文化を守るために、足りないパーツは何か
話を神社仏閣の保護活動に戻しますが、清掃活動はどれくらいの頻度や規模で実施されていますか?
メインの活動が月に1回、毎月19日に行う「神社仏閣お掃除ボランティア」です。
場所は津軽の中をその都度移動していく形ではありますが、その他に青森市で1カ所、弘前市で1カ所、固定で実施しているところがあります。
その固定の場所に関しては、地域の方と有志で10~20人前後が継続して参加してくれる状況です。毎月19日の活動は、小さく始めたにも関わらず、現在は平日でも20名以上の参加者がいらっしゃいます。
開催場所にお住まいが近い方だけでなく、青森は車社会なので、車で1~2時間くらいの所だと皆さん来てくださいます。津軽全域から、ボランティアに興味のある人、神社やお寺が好きな方が多くいらっしゃいます。
毎回の活動内容はどういったものですか?
清掃活動を2時間程度実施した後、私がツアーガイドをさせていただき、「お振る舞い」という形で軽食をお出しするという内容で取り組んでいます。
参加者からは、神社やお寺に寄与したいけれど、その方法が今まで分からなかったとおっしゃる声が多いです。
企業の経営者からは、「自分たちは参加できないけれど活動を応援したい」とお振る舞いの寄贈などを通して協賛してくださる方が増えています。
管理者が分からない神社仏閣に、どのようにアプローチするのでしょうか?
役所に電話し、それでも判明しなければ、現地を訪問して足で情報を集めます。
土地の所有者がいる以上、本当に誰も管理していない場所はないはずです。自治体が管理していないと答えた場合は、そこは誰かの私有地なのです。その所有者を探すところからアプローチが始まります。
参道が通れないほど雑草だらけだった神社に実情を聞いたところ、後継者不足が深刻なようです。1人の宮司さんが4、5社以上を兼務されていて、国内最高で117社を兼務。それだけ多いと1社1社を十分管理することはできません。
また、宮司の収入だけでは立ち行かないので、平日は農業やお勤めをして、行事など必要なときだけ宮司をするケースもあるそうです。
今は御朱印巡りが盛んですが、せっかく観光客が来てくださっても、御朱印がもらえないばかりか境内が汚れているとファンが減っていくという負のループも多いのです。
日本人は万物を神様として崇めるとお聞きしました。例えば鳥居のない洞穴が信仰の対象だった場合、それを管理する必要はあるのでしょうか?
神社という名前を冠するかどうかの境目はありません。鳥居も神聖な場所が先にあって最初から立てられていたものではなく、神様に奉納したいという人の気持ちが立てるもの。信仰が先、鳥居が後なのです。
神社庁に登録するかどうかなど、信仰の対象を社会的なシステムに取り入れるかどうかというのは別の議論です。
私たちの保護活動の対象は、神社庁への登録がされていない施設も対象にしています。神社庁への登録には費用がかかり、運営上のルールも厳格であることを知っているので、そこまでの規模ではない未登録施設へのアプローチをむしろ優先しています。
助けは必要ないと言われることも多いのですが、それが本心なのか、選択肢がなくて諦めているのとでは事情が違うので、後者の人達の選択肢の一つになれたらと思って活動しています。
ヒト、モノ、カネなどのリソースで言うと、現在の神社に足りないパーツは何でしょうか?
物質的なもの以前に、最も取り戻したいのは「幸福度」だと思います。
世界的に見ても、千三百年も続いている場所があちこちにある日本ってすごいなと思いますし、自分たちの先祖先人たちはこんな素敵な場所を守ってきてくれたんだという認識とでも言うのでしょうか。
そこにしっかり価値を見出して、「自分たちはすごいじゃん」と思う街の誇りや活気になっていくのが理想的だと思います。
青森に恩返しをしたい人たちがバトンを繋いでいく
私たちは神社と言えば、有名な所に参拝に行くものというイメージが強いものです。
身近にある当たり前の景色、いつも見ている物の価値は中々見いだせないものです。
地元の人に、津軽のいいところを聞くと「何もない」と返ってくるんです。
県外の方をツアーに案内すると、津軽平野やリンゴ畑を見て「素敵な自然だ、なんて心が洗われるんだろう」なんておっしゃいます。多様な視点にふれて、見かたをチェンジすることが大事だと思っています。いわば、「つながり」の力が求められるということでしょうか。
経営者として思うのは、企業側で何かできることはないでしょうか?
まずは、この現状を知る方を増やしていただきたいです。例えば自社の研修旅行として、保護したい神社仏閣を巡ってみるのもいいと思います。
飲食店様でしたら、店舗のPRも兼ねてお寺でお祭りを開いたりしていただきたいです。
「神社仏閣お掃除ボランティア」のお振る舞いも、地元の企業の方達に提供して頂いています。
企業が関心を持っていることを地元の人たちに伝えることで、この問題には社会的に目が向けられているという勇気付けになっています。
外部からの声が入ることで地元の人の意識も変わっていくのですね。インバウンドなどの動きを採り入れることはできないでしょうか?
青森県内には三沢飛行場があるのですが、そちらの米軍基地に住んでいる国際結婚のご家庭からメッセージを頂いて、基地の子供達20人ほどにお掃除ボランティアを体験していただけることになっています。
このようなニーズを受けて、外国人の方向けに紙芝居を作って文化紹介をしようとしています。メディアにも取り上げてもらいたいですし、アニメファンの「聖地巡礼」の場にもなっていけばいいなと期待しています。
外国人留学生が生きた日本の伝統文化を学べるような、インターンシップの機会としてもぜひ訪問していただきたいです。
神社仏閣お掃除ボランティアの、今後の目標を教えてください。
「見えない世界も幸せにする」というのが私のモットーで、神社やお寺を通して地域やそこに生きる人々の思いを幸せにしていくだけでなく、ご先祖様も幸せにしたいという願いがあります。
私自身、かつて日本代表を狙えるくらいのサッカー選手だったのですが、病気などで挫折を余儀なくされ、その後、英語を習得して新たな道に進みました。
そして、インドの師匠に出会ってイタコの修業を始めてから、青森に帰ってきて良かった、そもそも青森に生まれていなかったら今の自分はなかったと、今までの人生の意味が変わるような体験をしました。
現在の私たちが、恩返しをしよう、受け継いでいこうという流れを止めてしまったら、子孫の幸せを願っていた先人たちの努力が無になってしまうのではないでしょうか。
「見えない世界」が時間軸の意味でも、過去、現在、未来すべてを幸せにしたいという気持ちを込めて、この活動に取り組んでいます。